『ジャッジしない』生き方のススメ=心を軽くするヨガ哲学

ヨガ哲学
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あなたの周りに何かとジャッジ(決めつけ)する人はいませんか?もしくは、あなた自身がジャッジしてしまうことがあるかも知れません。
ジャッジというのは多くの場合において「その人の頭の中で起きている独りよがりな事象」です。
ジャッジは他人を縛り付け、自分のことも縛り付けてしまいます。

ジャッジするということ

ジャッジするというのは物事を型にはめ込んだり、白と黒、善と悪、好き嫌い、などと極端に区別すること。“二極化思考”とも言いますよね。

物事へのジャッジ

昔の人は「空なんて飛べるはずない!」と思っている人はたくさんいました。でも今は飛行機が発明され多くの人にとって当たり前のように「空は飛べるもの」になっています。

さらに昔に遡れば「地球が太陽の周りを回っている」と言って火炙りにかけられた人もいます。

人類は「間違ったジャッジが悲劇を生む」という歴史を繰り返しています。そしてそれを歴史の授業で学んでいるはずなのに何故かジャッジをしたがるのです。

でも、物事や社会へのジャッジって自分一人の頭の中ではどうにもならないことの方が多いんですよね。自分とは真逆の社会思想を否定したところで、真逆の考えを持つ人というのは一定数消えることはあり得ないのです。

他人へのジャッジ

一番身近なのは他人へのジャッジ。
他人へのジャッジで怖いことは〈自分が誰かをジャッジする〉その瞬間〈相手も自分をジャッジしている〉ということを忘れてしまうこと。

「クレーマー」という言葉がありますが、多くの場合「クレーマー」はクレーム対応する人にも、クレームを言わない周りのカスタマーにも嫌われます。

また人を判断する材料として、学歴・経歴・職業・年収など色々あるかも知れませんが、そんな軽い言葉でその人の人生は測れないのです。

自分の型で他人を語ることは出来ません。
他人の型であなたを語ることもできません。

また、他人へのポジティブなジャッジですら、怖いものになり得ます。
「この人は信用できる!」と思っていた人に騙された、思っていたのと違った、という場合
それは相手が悪いのではなく「自分のジャッジが間違っていた」だけのことです。

自分へのジャッジ

他人へのジャッジの癖がある人、他人からジャッジをされ続けてきた人は多くの場合、自分へもジャッジをしがち。そして自分へのジャッジがある人こそ、自分の思い通りにならないことに怒りを感じやすかったり、感情のコントロールが苦手な場合も多いのです。

ジャッジすることの正体

ジャッジというのは「エゴ」や「思い込み」でしかありません。
〈自分にとって嫌いな場所〉が〈誰かにとっての好きな場所〉
〈自分にとって嫌いな人〉は〈誰かにとって愛すべき人〉

エゴや思い込みに縛られている時、逆の発想を持つ人がいるという想像力が欠如します。

ポジティブなジャッジにも注意!

自分はできている!

これは私自身がヨガ・ピラティスの現場でよく見かける事象です。〈できるorできない〉ということにとらわれる人がとても多い。でも実際はやってみようとする、自分の身体を意識しようとする、今この瞬間に集中する、と言ったことの方が必要な要素。

自分は他人より優れている

承認欲求の一つでしょうか。
他人よりも自分が得意なことがあるということは素晴らしいことですが、自分が苦手なことを得意とする人もたくさんいるのです。

あの人はすごい!

他人への羨望、憧れ、理想・・・そういった感情は誰にでもあるものですが、SNSで見る華やかな世界に、劣等感を感じてしまう人は多いと言います。劣等感も自分へのジャッジの一つです。

ジャッジしないということ

全ての人に生きている意味があり、生きている価値がある。

他人へのジャッジ、自分へのジャッジ、自分の頭の中でどんなジャッジをしようが、“全ての人に生きている価値”があるという事実は普遍なもの。

比べない

他国と自国、自分と他者、他者と他者、昔と今。比べたことでジャッジをしても現実は変わらないのです。

結果にとらわれない

努力したのに報われなかった、とジャッジするのではなく努力した過程や頑張ろうとした自分自身など、得られるものはたくさんあるはず。

エゴを手放す

「〇〇じゃないといけない」ということは世の中にはありません。
法律ですら時代に合わせて改正されます。

「〇〇であるべき」を押し付けるより、「みんなにとってハッピーなこと」を追求することが大切なのです。

ジャッジしないことが自己と他者を解放する

虹 Happy

ジャッジというのは多くの場合において「自分の頭の中で起きている独りよがりな事象」です。
その上でジャッジしないというのは「思い込みを手放すこと」

もしあなたが、考えすぎてしまったり、決めつけを他人に押し付けてしまうなどの心当たりがあったら「ジャッジすることをやめる」という選択肢もあるということを忘れないでください。



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