「嫌いな人」そんな存在できれば作りたくはないけれど、生きていれば一人や二人、二度と会いたくない人や嫌いな人って存在しませんか?
もし、30歳で嫌いな人が0人ですという方は、よっぽど恵まれた環境に生きているか自分に嘘をついているのどちらかなのではないでしょうか。そんなふうに感じます。また「自分は相手のことを嫌いではないけれど、相手が自分を嫌っている(気がする)」なんてこともありますよね。
嫌いな人が幸せでありますように
ヨガの瞑想方法の中に『慈悲の瞑想』というものがあります。
この瞑想方法では、あらゆる人や生命に対して「幸せでありますように」と祈ります。一見すればとても尊く、素敵な行為のように感じますが、慈悲の瞑想では明確に「私の嫌いな人が幸せでありますように」と祈ります。なかなかすごいことだと思いませんか?
慈悲の瞑想
私が幸せでありますように
慈悲の瞑想
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私が幸せでありますように
私の大切な人たちが幸せでありますように
私の大切な人たちの悩み苦しみがなくなりますように
私の大切な人たちの願いごとが叶えられますように
私の大切な人たちが幸せでありますように
この世の全ての生物が幸せでありますように
この世の全ての生物の悩み苦しみがなくなりますように
この世の全ての生物の願いごとが叶えられますように
この世の全ての生物が幸せでありますように
私の嫌いな人が幸せでありますように
私の嫌いな人の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人が幸せでありますように
私を嫌っている人が幸せでありますように
私を嫌っている人の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人が幸せでありますように
この世の全ての生物が幸せでありますように
なぜ、嫌いな人の幸せを願わなければならないのか
何故、その人のことを嫌いなのか
私は初めて慈悲の瞑想を知った時、涙を流したのを覚えています。「嫌い」という感情のレベルは人それぞれあると思いますが、私にとっては「嫌い」を越して「恨んでいる」と言ってもいいほど辛い苦痛を味わったことがありました。
世界中の人々の平和は祈れるのに、嫌いな人の顔を思い浮かべるとその人たちの幸せを祈るために心のブロックが働くのは何故なのでしょうか。きっと無意識に思い出さないように(まるでこの世に存在していないもののように)考えているのでしょう。
そこで思ったのは「なぜ、そこまでその人のことを嫌いなのか?」ということ。
自分の中の答えは過去にその人に傷つけられたことが原因でした。
傷つけられた経験から「同じ想いは二度としたくない」という気持ちが潜在意識に刷り込まれたことで人生のあらゆる選択や考え方などを大きく変えさせられたという過去があります。
嫌いな人のことを考えることで、自分の潜在意識の欠片に気づくことができました。
認めること、許すこと
潜在意識とは無意識に自分自身を操っているもの。嫌いな人を思い浮かべたことで心の中の突っ掛かりに気づくことができました。嫌いな人に刷り込まれた潜在意識は自分にとっては必要のないもの。(いらない潜在意識とは、パソコンのウイルスのようなものだと思っています。)なのに思い出したくない過去の思い出と共に心の奥底に握りしめてしまっているんです。
まずはその感情に気づき、相手のために祈ることでいらない感情を手放せるようにする。というのが相手のために祈る理由なのだと感じました。
祈りは自分のためのもの
嫌いな人の幸せを願うことは、相手のためではなく自分自身の浄化のために行うことなのではないでしょうか。
どんなに願っても過去は変えられないもの。今を生きるために過去の不純物は捨て、そこから学べることだけは持ち続ける。
この記事があなたにとってそんなきっかけになればと祈っています。