喜怒哀楽の中でも”怒り”というのはマイナスの感情。とても大きな力であり、その力に委ねてしまえば人間関係が崩れてしまうきっかけにもなるものですよね。
ヨガインストラクターの私は「ヨガやってるから怒らないんでしょ?」のように言葉をかけられることがありますが、そんなことはないんですよね。悪意のある言葉をかけられればイラつきますし、傷つきます。ですが“ヨガ哲学”の中で怒りという感情について学ぶことで、怒りに身を委ねてしまうことがなくなりました。
まずは“怒り”を知ることから始める
始まりは“想い”から
人の心に”怒り”が生まれるのは“想い”があるからです。
“想い”とは純粋なもの。想ったり願ったりすることに罪はありません。
”想い”は膨らみすぎることで欲望や執着となる
「〇〇だといいな」といったように生まれた想いが膨らむことで
「〇〇なはず」「〇〇でないといけない」という形に変化します。
初めは感情的な“想い”だったものが思考によって“執着”になっていくのです。
欲望や執着は満たされないことで怒りになる
自分の中では「〇〇でないといけない」ということが他人にとっては「そうではない」こともありますよね。すべての人が同じ想いや考えではないのです。
想いは思考で“怒り”に変わる
人々の多くは、結果を期待して行動を起こします。行動に対して結果が伴わない時、悔しさや悲しさ、怒りという感情が生まれます。中でも怒りに変わる感情というのは、結果に納得できていない時や、悲しみ・悔しさを覆いかくす時。それは咄嗟の感情ではなく、思考が“想い”を“怒り”に変えていったものなのです。
“想い”を怒りに変えないための思考・心の持ち方を身につけることが大切です。
怒りに身を委ねないために
人が関われば関わるほど、“想い通り”にいくことは少ない
大前提として、人が関われば関わるほど、“想い通り”にいくことは少ない。なぜなら“想い”は人によって違うから。コミュニケーションは“思い違い”を減らすために最善の方法と言えるでしょう。
怒りは抑えなくていい
“怒り”という感情は誰でも持つもの。“喜び”と“悲しみ”のように当然な感情なのです。最悪なのは、怒りに支配され身を委ねてしまうこと。人間関係においては“怒り”に任せて言わなくていいことを伝えてしまったり、相手を傷つけてしまうことがありますよね。そういったことをしないように、まずは自分の“怒り”に気づき、それを感情的ではない方法で相手に伝えることが大切です。
感情的ではない方法で相手に伝える
嬉しい時に「嬉しい」というように、悲しい時に「悲しい」というように、怒った時には「怒った」と言えばいいのです。それ以外の相手の人格を否定するような言葉、相手を傷つけるような言葉は必要ありません。もちろん、暴力も必要はありません。
ヨガ哲学的には「アヒンサ」暴力を行なってはならないを守ることにつながります。怒りに身を委ねる前に、アヒンサを思い出しましょう。
“怒り”の感情と付き合ってゆく
“怒り”はあって当然な感情。喜びや悲しみと同じように大切な感情です。
抑えるのではなく、付き合い方を知る。コミュニケーションの中で、伝え方を知る。
そして何があっても相手を傷つけてはいけない。アヒンサの魂で感情に勝ちましょう。