「人を傷つけてはいけません」
私たちは子供の頃からことあるごとに親や周りの大人からこう言われて育ったと思います。
ヨガ哲学では、八支則と呼ばれる瞑想に至るまでの段階の一番最初にアヒンサ(非暴力)というものが定められています。意味はあらゆる物、すべての人に対しての暴力的な言動を慎むこと。
暴力はもちろん、環境破壊、動物への虐待など、アヒンサではあらゆるものを指しますが、日常生活における言葉によって、誰かを傷つけることも、禁止とされています。同時に「思いやりのない言葉」や「八つ当たり」と言った行為はあらゆる人にとって一番身近な“アヒンサ”なのではないかと私は思います。
ただし、生きている上では伝えづらいことを伝えないといけないときもありますよね。
相手を思いやる伝え方“言葉の四つの門”
人を傷つけてしまった後の言い訳として「語彙力が足りなかった!」みたいに言ってしまう人がいますが、私はそれを思慮の浅さだと感じます。
人には心があり、知能があり、経験があり、考える力があります。思慮の浅さは思いやりにかけた自分本位な行為です。
思いやりのある言葉は必ずこの「四つの門」を通します。
- 真実に基づいているか
- 相手に今、伝える必要があるのか
- 今がそのタイミングなのか
- 優しく伝える方法が他にないか
真実に基づいているか
悪い例)ただ、自分の好みでないだけなのに「周りのみんながそう思っている」かのように誇張する。
自分一人の意見や感想を、まるでみんなそう思っているかのように言ってしまうこと、ありませんか?でも、すべての人が同じように思ったり考えていることって世の中少ないんですよね。
では『真実』ってなんでしょうか?真実ってこの世には数えるぐらいしかありません。
相手にとって伝える必要があるのか
悪い例)ミスをしたことに気づいている本人に、あえて「ミスした」という事実を伝える。
悪い例)「〇〇さんがあなたのこと、こう悪く言っていたよ!」と、必要のないことを伝える
相手にとって、知る必要のある情報、知る必要のない情報というのは、相手の立場を想像しなければわからないこと。「言いたい」という気持ちはエゴなのです。
今がそのタイミングなのか
悪い例)明らかに他のことで忙しい人を引き止めて長話をする。
悪い例)明日は大事な発表を控えているのに過去の失敗について追求する。
クレーマーが迷惑な理由って、忙しい時に限ってスタッフの手を止め業務を妨害すること。
自分の言いたいタイミングで他人の時間を奪うこと。
それこそ思いやりではなく、エゴですよね。
優しく伝える方法が他にないか
例)「なんでこうしないの?」⇨「こうしてみたら?」と言い方をかえる。
同じことを伝えるのにも、言い方一つで印象が変わるもの。
感情任せに出た言葉は時に深く人を傷つけてしまいます。
思いやりを持たせるなら、できる限り優しい言葉を探りましょう。
“言葉の四つの門”をベースにした他者との向き合い方
私は「言葉の四つの門」を知った時、自分の行動を気をつけようと思ったのと同時に、他人に言われた思いやりのない言葉や行動をいくつもいくつも思い出しました。結果、思いやりにかけた人間関係の全てを断つ決意をしました。
思いやりにかけてしまうのは、無意識のうちにできてしまう上下関係だと思っています。
「自分より下の人には何を言ってもいい」という場の空気。
そう言った空間で苦しむ人がいたら、<その場所から逃げてもいい>と伝えたいです。
心が傷ついた時は・・・
喜怒哀楽を我慢しない
怒ったり悲しんだり、そう言ったネガティブな気持ちって抑えがち。
でも傷ついたらそれを伝えればいい、悲しいなら泣いてもいい。
誰かに傷つけられた自分を、自分自身でさらに傷つける必要はありません。
「〜じゃないといけない」なんてことはこの世には一つもありません。
傷ついたからこそ、誰も傷つけない自分になる
傷つく人が少しでも減るような世界を願って。