空前の瞑想ブーム!
瞑想といえばマインドフルネスと名前を変えて経営者をはじめ多くの方に浸透してきていますよね。
ところで「瞑想」と聞いてどんなイメージをお持ちですか?
多くの方は「無になること」を想像するのではないでしょうか。
無になろうとすると他のことがよぎってしまい、集中できない、続かない
というのが一般的なイメージですよね。
でも、瞑想の始まりとは“集中”することなんです。これはどういうことなのでしょうか?解説していきます。
ヨガ=瞑想の準備
ヨガとは、瞑想を行うまでの段階を8段階に分けています。これをヨガの八支則(アシュタンガヨガ)と言いますが、
ヨガの八支則
- ヤマ(日常で行なってはいけないこと)
- ニヤマ(日常ですすんで行うべきこと)
- アーサナ(坐法)
- プラーナヤーマ(呼吸法)
- プラティーヤハーラ(感覚を制御すること)
- ダーラナ(集中)
- ディヤーナ(瞑想)
- サマーディー(三昧)
ヨーガ・スートラにおいて、瞑想に向かうまでには八段階のステップがあります。
その中でも⑥ダーラナ、⑦ディヤーナン、⑧サマーディーが瞑想だけにフォーカスした項目を3つに分けて細かく説かれています。
この三つをまとめて「サンヤマ」と呼びます。
ダーラナ 集中
瞑想の対象を一点に定めます。ヨガの中では、呼吸や、身体の一部、月や太陽、言葉(マントラ)などが集中の対象として使われることがあります。
集中をすることを繰り返すことで、心も体も一つのことに止めるようコントロールすることができるようになる、としています。
集中することから心の静けさや穏やかさを生み出します。
ディヤーナン 瞑想
集中の時間を一定時間続けると、それを“瞑想”の状態と言います。
ヨガの世界では48分で瞑想の完成ということもあります。
サマーディ 三昧
ディヤーナン(瞑想)をさらに深めた状態。
「瞑想をしている自分」「瞑想をしようという考え」「集中の対象」などそれらすべての感覚すら手放した状態と言われています。これが、一般的な「無になる」瞑想の最終形態です。
スポーツ選手が「ゾーンに入った」などということがありますが、まさにそれこそ“サマーディ”だと表現されることもあります。
瞑想初心者は“集中”を意識する!
「瞑想=無になること」として突然無になる練習をしても、難しいもの。そのためにはまずは集中することが大切です。
例えばヨガのレッスン受講。レッスンで行われていることと、自分の身体の感覚だけにひたすら意識を向けることは一つの「瞑想」となるのです。レッスン中に「終わってから何食べよう♪」なんて考えてしまったら、集中の途切れた状態。
集中して本を読む、集中して授業を受ける、集中してスポーツをするなど、これらはすべて瞑想の一種。静かに座って行う必要はないんです。
無になるのではなく、今この瞬間を味わい尽くす
初めのうちの瞑想は「集中」を繰り返す。脱線する感情、脱線する思考をこの瞬間にもどし、それを繰り返す。集中の一つ一つを繋げることで集中状態が長くなり、深くなれば“瞑想”となってゆきます。
難しく考えず、考えすぎずにチャレンジしてみてくださいね。